こんにちわ〜〜雨すごいですねえ。でも室内にいるときの雨は好きです。ざあざあ言う音が心地よく聞こえるから。
今日はおやすみでぼーっと思い出していた閉鎖入院の話を書こうかなあ、と思ったのでつらつらと。
1年前の9月頃、体調を崩しに崩しまくっていまして。メンタル的にも体的にも限界だけど部活バイト学校の単位に追われ必死になりながら生活していました。
メンタル的なことはなんで私がこんなふうにならなきゃいけないんだという考えに苛まれ、中学休んだからこの先の人生もぼろぼろだ、もう無理だ、思うとおりに人生なんか進まない、と毎日ボロボロ泣いていました。
学校にはとりあえずいくけど授業になると息ができなくなって結局帰ることを繰り返し、それでも今ここで休んだら留年する。がんばらなきゃ、がんばらなきゃ、と言い聞かせ体を引きずりながらなんとか学校に行っては早退する生活を続けていました。
でも限界はかんたんに来ました。
学校に行くのがくるしい、死にたい、と毎日ボロボロになっていったので当然ですね。そんな生活が長続きするはずないですもの。
形的にはドクターストップでしたが、入院するかどうかの判断は私がしなければいけませんでした。
医療保護入院扱いですが、それでも私が入院したいと言わなければ入院という話にはなりませんでした。
入院という判断をするということは、学校にはいけない、つまり単位を落とすということで。
それは留年することで。
今ここでした選択が、将来進路を決めるときにどれほど首を絞めることになるだろうか。
でももう学校に行ける状況じゃない。家にもいられない。入院しかない。
苦渋の決断でした。
いま入院を決めるのはわたしで。誰も強制的には入院という形を取ってくれない。すべて私の責任で入院することになる。誰のせいにもできない。
でもどうしようもない。母に主治医のところへ行ってくれ、入院したい。と泣きながら言いました。
そして話はトントン拍子ですすみ、数日後入院することになりました。
入院する前はスマホが持ち込めると思っていたのですが、それがじつはだめでして。
入院する前は自由に病室から出られると思っていたのですが、それもだめで。
つまり、どうなっても助けは呼べない状況で、どこにもいけない状況で、閉鎖入院しなければいけないことになりました。
少し話しはずれますが、私の叔母は統合失調症でした。
かなりひどい統合失調症で、妄想や幻聴、時には妄想を信じ込み家族に殴りかかってくることもしばしば。
その叔母と3年ほど一緒に住んでいたのですが、わたしにはその3年がトラウマを植え付ける期間になっていました。
閉鎖に入院したら、周りは叔母と同じような人の集まりでした。
ポツポツと何か言っている人、私の病室の前で座り込む人、たまに聞こえるどなり声。
私の中で全てトラウマになっていたことばかりに囲まれ、頭がおかしくなるんじゃないかと思いました。
いつ殴られるかわからない怖いくるしい物音一つ立てられない立てたら殴られるかもしれないだって叔母はなぐってきた
持っていた10円玉を使って必死に母に公衆電話で電話をかけます。このままここにいたら私おかしくなる。死んでやる。こんなとこにおいておくなら死んでやる。と。
暇つぶしに使えるスマートフォンもない。ただただ恐怖感に押しつぶされる日々。
看護師さんに苦しいですと伝えても無表情で頓服を渡されるだけでした。
ああ、わたしは病人扱いだから、どれだけ苦しい怖いと言っても頭おかしい人が何か言ってる、と捉えられただ頓服渡されるだけなのだ。と思った瞬間耐えれませんでした。持ってきてもらったイヤホンで首をつる計画を何度も考えました。
そんなこんなで結局そんなところにそんな状況でいられるはずもなく。
主治医に頼み込んでたった4日間で退院という形になりました。
叔母のことがなかったら違ったかもしれないのですが。でもわたしにはあの環境は怖くて仕方なかったです。
その後は一ヶ月間、自宅療養でした。
ドクターストップで学校にはいけないので。
無事一ヶ月後には通学できるようになり、ほとんど休みもなくその学期はやり遂げました。
休学期間、期末考査もあったので期末を受けてないし一ヶ月休んだからこれは留年だろうと思っていたのですが、担任の努力と中間考査の評価がよかったのもあり、奇跡的に単位は落としませんでした。
不意に思い出したので下書きもせずつらつらと書いてしまったので乱文になりましたが、読んでいてくれた人がいたならちょっとうれしいです。
ではでは🙌